医者を必要とするのは病人です 

 

 「それから、イエスは、彼の家で食卓に着かれた。取税人や罪人たちも大ぜい、イエスや弟子たちといっしょに食卓に着いていた。こういう人たちが大ぜいいて、イエスに従ってい

たのである。パリサイ派の律法学者たちは、イエスが罪人や取税人たちといっしょに食事をしておられるのを見て、イエスの弟子たちにこう言った。『なぜ、あの人は取税人や罪人たちといっしょに食事をするのですか』イエスはこれを聞いて、彼らにこう言われた。

 

『医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。』」      (マルコの福音書2章15~17節)

 

 聖書のことが全く分からなかった頃、この「医者を必要とするのは・・」の言葉にふれた時の大きな感動は今もはっきり覚えています。この病人とは、単に肉体の病だけではなく、心の病、気の病、ささいな事柄をも気にする、気持にゆとりがなくこせこせする、なにかにつけて暗く、マイナス面の思いを抱いてしまう傾向のある人などを考えることもできます。また自分の罪深さや悪習慣に負けてばかりいて悩み苦しんでいる人たちをも考えられます。

 

 当時の指導者パリサイ人たちは、罪人と呼ばれている人たちや、人から後ろ指をさされるような人たちと食事を共にしているイエス・キリストを批判しました。その時イエスは「医者を必要とするのは丈夫な者ではなく、病人です。わたしは正しい人を招くためではなく、罪人を招くために来たのです。」と答えられたのです。

 

 医者は、病人のためにあるのです。病気の感染を恐れて離れていては、医者の役目を果たせません。救い主イエスは、罪人を招いて救うために来られたのです。イエスの前に正しい人など一人もいません。あなたも私も愛のイエスの招きを受けているのです。

 

                                        藤 田  正